『波切り草』

目黒ええと、次は『波切り草』です。別冊文春に断続的に連載して、2006年5月に文藝春秋から本になって、2009年に文春文庫と。本の帯にこうある。

少年期から青年期にかけて二つの海をよく見ていた。平らで夕陽に光る穏やかな海と、蒼く広がり、猛々しい白波の打ち寄せる海と、それらの海を目の前にして、ときおり何かをぼんやり考えていることがあった。あの頃、自分はいったい何を考えていたのだろうか、というのがこの小さな話を書く、やはり小さなきっかけだった。

この「著者の言葉」から考えると、自伝的小説のようなんだけど、中身は微妙に違うよね。たとえばこの小説の冒頭は、

父親が死に、家族は六人になった。おれは五人兄弟の四番目。兄二人に姉が一人。下に弟。いいぐあいの兄弟配分だが、どうも長兄と姉は、おれを含めたそのあと三人とは腹違いの兄弟らしい。

というもので、自伝的小説の雰囲気を濃厚に持っているけど、話が始まるとだんだん自伝からズレてくる。主人公は高校で土木科に入るし、しかも学校の寮に入る。これは全然自伝じゃない。そのわりに母親の弟が出てきて、兄の屋根裏部屋を作るエピソードが出てくる。これは椎名のこれまでの自伝的小説やエッセイを読んできた読者ならお馴染みの挿話で、押し入れを改造して椎名の部屋をおじさんがつくってくれた実話とよく似ている。ところが、このおじさんの名前がツグモ叔父で、兄が恭一。主人公の名前は勇。こうやって名前も変えている。

椎名エピソードはほとんど作ってるな。

目黒じゃあ、何か特別の意図があったわけじゃないの?

椎名意図って?

目黒だから自伝にしちゃうと書きにくいことがあったんで、名前を変えるなどして自伝の匂いを少し消したとか。

椎名そんなのはないよ。

目黒自伝を書きたかったの? 創作を書きたかったの?

椎名それは創作だよ。少年期から青年期に移っていく青年の話を書きたかった。

目黒じゃあ、完全な創作にすればいいのに、押し入れのエピソードとかそういう自伝的な要素をどうして入れたの?

椎名それは、完全な創作を書く才能がなかったからじゃないか(笑)。

目黒それを言っちゃミもフタもない(笑)。でもね、主人公の勇が休みに実家に帰って、そしてまた寮に戻るくだりに、兄の妻の浜子が作ってくれたおにぎりを勇が持っていく挿話がある。「浜子の作るまぜご飯のおにぎりはおいしい」と言うんだ。ところが、勇は寮に戻る途中でラーメンを食べるんで、そのおにぎりは寮の仲間へのおみやげにするの。ここが妙にリアルなんだよ。どこでラーメンを食べようかなと考えながら歩いていると、寮の食堂の賄いのおばさんに声をかけられて、うちに寄っていきなさいって言われる。その賄いのおばさんは普段はその白波食堂の仕事をしていたんだね。で、ラーメンと刺し身とご飯の入った丼が出てくる。おかみさんのサービスですって、「顔の赤い、いかにも地元の高校生という感じの少女がなぜか目をぱちぱちしばたたきながらそう言った」とこの章が終わる。ええと、五番目の「帰郷」という章だね。

椎名ふーん。

目黒あなたが書いた小説だからね(笑)。このくだりが印象に残ったのは、おにぎりの挿話はいらないよね。このエピソードにおにぎりが出てくる必然性がない。賄いのおばさんに声をかけられて白波食堂に入ってラーメンを食べるというだけでいいのに、どうしておにぎりを出したのかなって。妙にリアルなんだおにぎりの登場が。

椎名兄貴の嫁さんは料理がうまかったんだ。

目黒あっ、そういう現実があったんだ。それが小説に微妙に投影されたのかな。

椎名そうかもしれない。

目黒勇が高校の寮に入るってのは、誰かモデルがいたの?

椎名寮に入った友達がいたんだよ。

目黒それが羨ましかったの?

椎名ちょっと憧れていたな。

目黒そのわりに寮生活のディテールは描かれていないよ。

椎名寮生活の経験のある友達に、いろいろ聞いて書いたんだよ。

目黒家族の話を半分にして、寮生活の話をもっと書けばよかったと思う。

椎名思い出した。

目黒なに?

椎名浜子が妊娠して、勇が実家に帰ると子供が生まれているんだけど、校正の人からチェックを受けてさ。時系列で言うと妊娠してから四カ月で子供が生まれちゃった(笑)。

目黒あらら。

椎名隔月だったか季刊だったか忘れちゃったけど、続きを書くのにずいぶん間があく連載だったんだよ。だから忘れちゃったんだな。

目黒それにしても。

椎名あわてて直したけどね。

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